織右ヱ門について - About Oriemon

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織右ヱ門の歩み

織右ヱ門とは明治三十二年に製綿事業を創始した河村織右ヱ門の名です。
河村家の長男は織右ヱ門を襲名するしきたりがありましたが、昭和に入り、先代の河村織右ヱ門はそのしきたりを打切り、後世に未来を託しました。

しかし、それから半世紀。現代表の河村佑太は自ら名乗りを上げ、「織右ヱ門」の名を甦生させました。
なぜ二十一世紀の今、その名を復活させたのか。新しい織右ヱ門の道を拓こうとする、十代目河村織右ヱ門が、その真意と布団への思いを語ります。

参照:
「私の歩んだ道 綿業界の先駆者 河村織右ヱ門」より

明治から続く「織右ヱ門」を
新たな布団の名にした理由

織右ヱ門という名がいつ生まれたのか、気が付けば「織右ヱ門さん」として代々布団屋をやっていました。私は十代目ですが、会社としての織右ヱ門でいうと曾祖父が二代目なのです。途中で布団屋家業を継ぐのを廃止しようという時代もあり、織右ヱ門の始まりは当時を生きた先代がたのみが知るものになりましたが、私たちは昔から織右ヱ門なのです。「織」という字は織物を意味しますので、たしかに布団と繋がりのある名なのです。始まりの織右ヱ門は本名だったのかもしれませんね。

その後を生きた先代がたの本名は普通の名でしたが、昔の契約書などを見ると、「河村織右ヱ門」と書いてあるのです。銀行や何かの契約にも、織右ヱ門は通用しており、日常的にも愛称として通っていたようです。

それだけ愛されていた織右ヱ門という名への想いは、長い間私の中にありました。今この機会に新たな織右ヱ門を始めた理由はいうなれば偶然で。私の家族を通じたよい出会いがあり織右ヱ門を中心としてひとが集まり、時宜を得たのです。そうして何十年もくすぶったままだった織右ヱ門の名は新たな始まりを迎えることになりました。

創業百二十五年
十代目として先代の想いを引き継いだときのこと

幼い頃から父や祖父が布団や綿わたの仕事をしてきたところを目の前で見ていましたし、当たり前のように布団家業を継ぐ道しか考えていませんでした。やらない選択肢は無かったのです。考えることといえば昔から続く布団を今の時代でどのように届けていくのかと。時代に翻弄され、名を変えながらも織右ヱ門は百年以上続いていますので。

私が継いだ約十年前には、街の布団屋に出向いて直接手に取り布団を買うひとよりも、画面越しで布団を買うひとが多くなりはじめていました。織右ヱ門の名から離れた当時の河村ふとん店は、インターネット経由でお客様の手元に布団をお届けする環境が無かったので、私の代から始めたのです。

それから現在に至るまで通信手段は進化を続け世の中の当たり前が最も変化してきた時代を、織右ヱ門も河村ふとん店の名で布団屋として乗り越えてきたのです。コロナ禍で大きく揺れた時代もあり、先が見えないこともありました。そのような中でも画面越しだけではなく、昔からある街の布団屋もその土地のひとに支えられて今も続いています。だからこそひとの繋がりを深く感じ、これからも布団を大切に届けていきたいと感じました。

織右ヱ門はどのような想いとともに
皆様の元へ届くのか

綿布団自体が少なくなっているので、貴重な綿わたを使用した布団の本質的な良さを体感して永く使っていただきたいという想いでお届けしています。街に昔からあるような布団店も少なくなり、なんでも揃う大型の商業施設やネットで買える布団のほとんどに合成繊維が入っているのです。

私たちは元から布団づくりだけでなく「コドモわた」という名で、中材である綿わた生産も生業としています。「純粋に綿わたを楽しんでほしい」「心地良い質感やこだわりの弾力を体感してほしい」と願いながら職人とともに生産しているのです。
どんなひとでもつくれる布団ではありません。中の綿わたから外を包むカバーまで、自社で原材料から布団をつくる布団屋は減っています。織右ヱ門にしか絶対にできないとまでは言えないですが、希少になりつつある綿わたに特別感を感じながら実際の寝心地にも満足していただければ嬉しいです。寝ることを含め衣食住に質やこだわりを持つひとが織右ヱ門に辿り着いてくれたらと。知る人ぞ知る布団屋として織右ヱ門が皆様の元に届けば幸いです。

いくつもの時代を超えてきた
先代がたの織右ヱ門と対話できるなら

私の曾祖父である九代目織右ヱ門に会って話をしてみたいですね。先代がたの中で最も多くのお客様に布団を届けたひとと言えるでしょうから。いろんな街の布団店への卸業も、綿わたの生産も、今以上に大きな規模で行っていました。
そういう時代だったというのはありますが、昭和初期から昭和五十年ぐらいまでが一番だったようです。当時は多くのひとに布団を届けるため、現在もある函館工場以外に仙台と茨城にも大きな工場がありました。

そんな時代を築き上げた曾祖父に未来である今現在の織右ヱ門がどう見えているのかを聞いてみたいですね。私が描く「知る人ぞ知る布団屋」ではなく、誰もが知る有名な布団屋になることを願っていたのかもしれません。父と祖父は曾祖父のことを本名でなく「織右ヱ門」と呼んでいて、かなり厳しい人だったというのをよく聞かされていましたから。「織右ヱ門さんが決めたことは絶対」と言われていて、誰もがその意思決定を信じて着いていったといいます。古い時代だから許されていた社長としての厳しさや、九代目織右ヱ門として皆が尊敬する才能のお陰で今の織右ヱ門があるのです。

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